メールに「〇〇 拝」と付いている…どういう意味でなぜ付けるのか!?

ちょっとした疑問

メールに「〇〇(相手の名字) 拝」と書かれている事がありますが、このメールの「〇〇 拝」は、メールの送り主があなたへの敬意を表す時に使われています。

 

なので、相手の氏名が「〇〇 拝さん」だというわけではありません。

(ごくまれに有り得ることだとは思いますので気をつけるべきですが)

 

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メールの拝の意味は漢字を読み解く事でその意味合いが理解できる!

この意味は「拝」という漢字の意味や、熟語にしたときの用法などを考えてみるとわかってきます。

 

「拝」という漢字には、「おじぎなど、体をかがめて敬意を表明すること」また「神仏に敬意をもち、ありがたく思いおがむこと」などの意味があります。そしてさらに調べると、「自分の動作に添える謙譲語」という意味も出てきます。

 

熟語にすると「拝礼」「遥拝」「崇拝」「礼拝」などのような例がいくつも出てきますね。

 

つまりは、何か(この場合はメールの届く先にいるあなた)への敬意を表して、「〇〇(相手の姓)はあなたにおじぎをしています」すなわち「謹んで申し上げました」という表現をするために使われているのです。

 

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メールに「〇〇 拝」と付けるのはむしろ失礼な時もある!?

さきほど説明したように「拝」は、受取人であるあなたへの敬意を示す表現です。

 

でも逆に、この用法は「逆に失礼だ」と認識するむきもあるのです。

使い方によってそこは変化してきますので、少々注意が必要なのです。

 

まずひとつめは、使い方。

 

「拝」を使うときには「名字+名前 拝」「名字 拝」「名前 拝」というバリエーションがありますね。

 

このうち、「名字+名前 拝」は、基本的に問題なく使えます。

なぜなら手紙を書くときのマナーと同じく、文末にはフルネームで署名することが基本だから。

 

逆にここが「名字 拝」「名前 拝」の場合は、姓あるいは名を省略するという点で、欠礼にあたるという認識がされる場合があるのです。

 

そしてふたつめは、用法的に間違うことや、実は省略された形であるという点です。

 

まだメールをビジネスで使用することがなく、手紙ですべてやりとりをしていた時代には、それこそ辞書ほどの厚さの「手紙の書き方指南」のような本が、たいていの職場や家庭にありました。

 

そこで頻出していた、手紙のマナーとしては最も基本的な内容のひとつに、手紙には「頭語」と「結語」の正しい組み合わせが必要になるというものがあります。

 

頭語と結語の組み合わせの例をあげると、

 

  • 拝啓-敬具(一般的に交わされる普通の手紙の場合)
  • 謹啓-謹言(改まった場面における手紙の場合)
  • 急啓-早々(緊急事態の手紙の場合)
  • 前略-草々(略式・かしこまる必要がなくても良い相手との手紙の場合)

 

そのほかにも色々とあり、とてもためになる一覧が手紙のプロフェッショナルであるはずの「郵便局HP」に掲載されているので、ここでご紹介しますね。

郵便局 「手紙の基礎知識 頭語と結語」の情報

 

さて、これを見るとわかるのですが、この中の結語に「拝」は存在しません。

 

というのも「拝」はそもそも、この中の「拝啓」などの使用を省略し、本来は頭語と結語をもって敬意を表していたその意味だけを抜き出して簡便にした形として考えられるからです。

 

つまりメールに、相手に対する敬いや畏まった感じを出そうとしてメールの最初の部分に「拝啓-敬具」や「謹啓-謹言」などを使用していた場合、「拝」で締めるのは、例えば何度もおじぎを繰り返しているかのような「明らかな誤用」なのです。

 

また、「拝」が省略形であるという一点をもって、「敬意が軽い」と思われるむきもあるようです。つまり、正しく相手への敬意を示しているとは言えないと認識されることもあるということですね。

 

つまりは「昔からの形式にのっとってはいない、単に相手への敬意を示すだけの表現」であり、文中に「申し上げます」「お送りします」などの丁寧な言葉を使用するのと、意味的にはさほど変わらないということになるのです。

 

なので、正式な手紙の書き方を踏襲して、メールで正しく相手への敬意や丁寧さを出すためには、特にメールよりも前に正式な手紙を書きなれている年代や層、教養ある相手に対しては、「拝」は可能な限り使用しないで、頭語と結語、そして署名という形にした方が望ましいと言えるかもしれません。

 

「拝」を使用するのは、本来はあくまでも自分と同等あるいは部下などの職位の方宛に、ちょっと丁寧さを演出するだけで良い、という場合にしか使わない方が無難なのです。

 

医師のメールでは「〇〇 拝」と終わるのが当たり前!?

医師のメールでは「拝」を慣習として使うべき、となっている場合もあります。

 

医療関連業界では、手紙やメールを医師に宛てて書くときは、冒頭に「(相手の氏名)先生 御机下」あるいは「(相手の氏名)先生 御侍史」、そして最後に「(自分の氏名) 拝」という形で終わるのが通常のテンプレートとなっています。

 

ちなみに「御机下」は「先生に直接お渡しするようなお手間をかけさせることが無いよう、先生の机のもとに置かせていただきます」という意味。「御侍史」は「先生の傍にいる方宛にお送りします。どうか先生にご開封のお手間をいただくことのないように」という意味です。

 

さらにそこに「拝」、「つつしんで深くお辞儀いたします」ですから。敬意の強さは相当のものと感じられますね。

 

このような場合は、前例にのっとってきちんとした形で「拝」を使うべきです。

 

メールの拝の由来はどのような背景から現在使われるようになった?

それではこの「拝」とはいったいどこから来たものか、と調べていくと、明治大正なりの文豪の手紙などの文末に「拝」を使われているケースが時折見られるようです。おそらくはそこからの流れなのだと考えられました。

 

ただしそれも作家から編集者なり誰かなりに書かれた手紙。畏まったというよりは、どちらかといえば慇懃、深読みまですると慇懃無礼な印象があるものでした。

このことから考えてみると、「拝」を使用するのはいかがなものか、という印象も抱いてしまいますね。

 

まとめ

ここまで「拝」についてまとめてきましたが、実は私は使ったことがありません。

 

実際、こうして調べてみても、役員や上司など畏まった相手に対しては「拝啓-敬具」という、手紙の書き方マナー以来の言葉を使用する方が望ましいのだろうと考えましたし、また同僚や友人、部下相手になら逆に「拝」を使用する必要もなさそうだと感じました。

 

実際に、同格-部下相手に丁寧にメールの文章を終えたい、あるいは複数相手にメールを出したいというときには、「署名」で済ませていました。

 

今回の記事を書くにあたり、「拝」という文末の署名に代わるような表現を初めて知り、それについて調べて考えをまとめてゆくことがとても知的好奇心を刺激されるような「学び」になったのがとても楽しかったです。

 

ビジネス上では基本的に使用は避けた方が無難、でも業界によっては必須であること。

また、敬意や丁寧さを頭語と結語の省略形として軽やかに表現するために使用することができる、この「拝」というのは、とても面白い表現だと思いました。

 

そしてはっきりと言えるのは、まだビジネスメールのマナーは完全に確立されたものではないということ。つまり将来的には、もしかしたら「拝」が唯一絶対のマナーとなっている未来もあるかもしれませんね。

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