喪中にやってはいけないことで遊び事をしたらダメな理由とは!?

ちょっとした疑問

身近な方がお亡くなりになったときには悲しいものですよね。

 

ただ、喪中にやってはいけないことで遊び事をしては悪いのかと言うと、喪中の期間であるご命日から一周忌までの1年間は慎むべきです。

 

その期間は、故人を偲んだり、残された人たちがその悲しい気持ちを癒したりするために、静かにすごしましょうよ、というのが本来の意味です。

 

だからその間は、楽しみ事である「遊び」は避けましょう。ということなのです。

 

スポンサーリンク

喪中にやってはいけないこと「釣り」は遊びの中でもやったらダメ!?

魚釣りを趣味としている方は予想外に多いですね。

 

私は船からの海釣りはしたことはありませんが、夫も釣り竿を持って釣りはしますし、川でヤマメなどを獲る渓流釣りを楽しんだ経験はあります。

 

それではそういうときに獲ったお魚は、さてどうしますか?

 

キャッチ&リリースをしてその場ですぐに針を外して放す人もいれば、その場で焚火やバーベキューなどをして焼いて食べてしまう人も、はたまた釣果として自宅まで持ち帰る人も、色々ですね。

 

でも、そうやって釣られたお魚は、その後たいてい死んでしまうことになります。

 

殺すこともなく自然にかえす、元々は乱獲を防ぎ、自然保護のために行われてきたというキャッチ&リリース。

 

一見、とても慈悲深い行為のようにも思えますが、これをするために魚の口が針で傷ついてしまい、その後は自分で満足に餌を摂れなくなってしまったりすることがあり、また針を外すときに人間の手が触れるだけで、水と同じ体温になっている変温動物である魚が火傷を負うこともあるそうです。

 

つまり「釣り」というのは人間の趣味で行われる限り、無益な殺生という面を持ちがちなものなのです。

 

 

日本ではとくに信心深い方ではなくとも、家の宗教は仏教である、家族のお墓はお寺さんにある、という方が大半ですね。

 

仏教では、亡くなられた人は死出の旅路につき、7日ごとに生前の生き方について裁きを受けるという話があります。それが7回繰り返されて最終的にお浄土へ行けるかどうかが決まります。

 

7×7=49、だから「四十九日」に忌明けの法要を行い、仏様のもとへと送りだしたことを供養して「忌中」が終わるのです。

 

この間、遺族が故人の供養を行い、善行を行うと、故人が極楽浄土へと旅立つための祈りが叶うとも言われます。だからこの間はとくに無駄な殺生を行うこともないよう精進潔斎を心がける、そういった考え方もあるのです。

 

だから、趣味としての釣りならば、可能なら喪中の1年間。少なくとも忌中の49日間は避けるべきだとされるのですね。

 

 

そしてそもそも喪中というのは、神道や仏教の教えなどから出てきたもの。

キリスト教にはありませんし、仏教も宗派によっては亡くなられた方は間をおかず仏様になられるという考え方もあります。

 

でも、仏教では「不殺生」、つまり生き物を殺すことはよくないという教えがあり、また日本古来の神道には死は「けがれ」、つまり死は忌まれるものという認識があります。

 

ですからこういう意味でも、喪中には、生き物の死につながる「釣り」は、趣味の楽しみ事としてなら慎む方が望ましいのです。

 

ですが、もしもこれが漁師さんであったり、ほかにも例えば板前さんや仲買さんであったりと、職業として命を扱う場合はまたちょっと別の観点があります。

 

生きている人を大事にすることも必要なこと。生きるために動物植物を問わず他の命を頂くというのは、人間にとってもどの生き物にとっても大事なこと。

 

そういう場合は生計の道として必要とされるのですから、「釣りや漁もまた已むなしである」と考えるべきではないかと思うのです。

 

スポンサーリンク

喪中にやってはいけないことで「旅行」も基本的には好ましくない!?

「娯楽は避けるべし」というのが基本の過ごし方です。

なので、楽しみごとである旅行も基本的には好ましくないことと見なされます。

 

しかし、派手に遊興したりするわけではなく、たとえば故人との思い出の土地を巡ったり、大事な人が失われた心の傷を癒すために静かに「心の療養」をするためなどということならば、近年はそれもあり、と考えることが多いようですね。

 

私も過去に同級生が、修学旅行の前にお身内を亡くされて、どうすべきか悩んでいらしたのを覚えています。

 

そのときは確か親御さんが「あなたの修学のためだから」「故人もこの中止は喜ばない」と背中を押してくださったそうで、一緒に思い出づくりの旅をしましたよ。

 

このようにケースバイケース、本人や家族、地域性、宗教それぞれの考え方で判断するものではないかと思います。

 

ですが1年間の「喪中」はともかくとして、49日の「忌中」の間だけはさすがに謹んで、故人の冥福を祈る方が望ましいのではないかと私は考えています。

 

まとめ

私もこれまで祖父母など身近な人を送り出してきましたが、実はそれほどこうした内容で悩んだことはありませんでした。

 

病院からお役所、火葬などの手配や手続き。通夜、通夜見舞い、葬儀、香典、香典返し。その後の法要、そして相続…

もちろん私一人でやるわけではなく、主体になったこともまだありません。

 

それでも色々とやらねばならないことや整理すべきものが多すぎて、遊びどころの騒ぎではなかったということが大きかったです。

 

それ以外にも、忌明けをした後にも、身近な人の喪失感から来る家族の不調などのメンタルケアなども必要でしたから。

 

人が一人亡くなるということは、ほんとうに大変なことなのだなと葬儀のたびに実感しました。

 

そして同時に、こうした儀式や慎みの期間というのは、故人のためでもありながら、残された人たちが心の整理や普通の生活に戻れるまでの期間として、たしかに役立つものなのだなとつくづく思ったものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました