ニューイヤー駅伝はなぜ群馬県で開催される理由は意外と知らない!?

ちょっとした疑問

毎年お正月、それも1月1日に開催されるニューイヤー駅伝こと「全日本実業団対抗駅伝競走大会」。

 

かつて箱根駅伝で活躍した選手のその後の姿を見られる。

 

しかもお正月にその二大会がそろい踏みで観戦できるとあって、現地まで行くファンのみならず、テレビやラジオ、ネットの中継では毎年観戦しているよというファンも多い大会ですね。

 

では、それがなぜ毎年群馬県で開催されるようになったのか?

 

それは、

 

  • 中継地が赤城山の一箇所だけでコースの全域をカバーできるから
  • 群馬県の1月は快晴の日が多いから
  • 群馬県が県をあげてバックアップしてくれるから

 

などなどの理由によるものなのです。

 

実はこのニューイヤー駅伝、群馬県で開催されるようになったのは、第32回(1988年)から。さらに現行の距離、100kmを走るコースとなったのは、第45回(2001年)から。

 

第1回目は1957年に開催され、もう60年を超える歴史をもつ大会なのですが、その間には色々な出来事があり、コースの長さや開催地も変わってきているのです。

 

今回はそれについてちょっと詳しくお話しいたしますね。

 

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ニューイヤー駅伝は群馬県でいつから開催されるようになった!?

先ほどちょっと触れましたが、ニューイヤー駅伝が群馬県で開催されるようになったのは、第32回(1988年)大会からです。

 

ちょうどそのときから開催日も1月1日の元日になり、現在通称として使われている「ニューイヤー駅伝」という名称で呼ばれるようになりはじめました。

 

さらに、区間が全長100kmという現在の長さになったのはさらにその13年後の第45回、2001年大会からです。

 

元々は三重県、そして滋賀県で開催された駅伝大会が、なぜ群馬県にくることになったのか。

 

そこにはコースや警備の問題、陸上競技の大規模大会は各都市で年1回開催する(都市の負担の不公平感を無くす、全国各地に分散させて地域振興をはかる)というお約束が出来たりしたことが元々の理由です。

 

しかし、群馬県には、さらにそれを上回るだけのポテンシャルがありました。

 

先ほど理由を3つほどあげましたが、それについてもう少し詳しく解説しますね。

 

中継地

群馬県の中心部、つまりコースとして広い道路が確保できて、アクセスも良い地域は、赤城山の南側に広がっています。

 

この赤城山に中継地を置けば、電波が妨げられることもなくたった1つのポイントでかなりの広い地域をカバーできるのです。

 

もしこれが、起伏に富んだ土地だったり平地ばかりだったりすると、100kmものコースの全域をカバーするためにいくつもの中継地が必要になり、高いコストが必要となってしまいます。

 

比較的近年、2020,21,22年のコースマップを見てみるとわかりますが、どれも群馬県庁から反時計回りにぐるりと1周100km。

 

しかもそのコースすべてが、赤城のお山から真南に位置していますね。

 

しかもニューイヤー駅伝のテレビ中継が始まったのは、まさしく群馬県開催となった1988年から。群馬県誘致は、ニューイヤー駅伝を、中継を途切れさせることもなく、タイムラグもなく、コスト的にも問題なく全国のお茶の間に届けるために理想的な判断だったのです。

 

天候

冬場の日本列島は、日本海側は雪も多く多湿、太平洋側は快晴が多く乾燥。

 

そうしたイメージが大きいですが、さてどちらからもほぼ等距離に見える群馬県はどうなのかと確認してみました。

 

参考になりそうな「1月の群馬の天気出現率」

goo天気

 

を見てみると、見事なまでに1カ月まるまる快晴の日が多いとのこと。

 

さすがにここまでとは思いませんでしたが、驚異的な晴れ続きとなることが多いということで、気候の面でも1月の群馬県は理想的なスポーツ開催地なのですね。

 

バックアップ体制

実はこのニューイヤー駅伝を誘致するにあたって活躍した政治家さんがいます。

群馬県を地盤とする、元総理大臣である故・中曽根康弘氏と、中曽根弘文氏です。

 

新潟県のやはり元総理大臣である故・田中角栄氏や、近年で言えば宮崎県知事を務めた東国原英夫氏のように、地元を愛し地元に密着し、地元のために尽くそうとする政治家さんは愛されるもの。

 

彼らの肝煎りで群馬県のためにと誘致したニューイヤー駅伝には、その心に応えるために群馬県側も交通規制やコース選定などに尽力しました。

 

ですから駅伝を運営する日本実業団陸上競技連合も話をすすめやすく、また報道についても群馬県での第1回目からTBSテレビと地元の群馬テレビが協力して完全生中継を行うなど、完全な協力体制を組むことができました。

 

これらの理由以外にも、例えばメインスポンサーとして山崎製パンがあることは有名ですね。

 

同社は各種のスポーツ振興にも支援を続けていますが、このニューイヤー駅伝については1994年の第38回大会から2022年の第66回大会まで、なんと29年間も協賛を続けています。

 

もちろん協賛は山崎製パン1社ではなく、報道のTBSテレビ、車両はSUBARU。また主催である日本実業団陸上競技連合をサポートする形で、毎日新聞社やスポーツ用品メーカーのミズノなどからの協力もあります。

 

実にたくさんの人々や企業の協力があってニューイヤー駅伝は群馬県開催となり、今もなお群馬県で人々の人気を集めて続けられているのです。

 

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ニューイヤー駅伝の歴史は当初、元旦に開催されていなかった!?

群馬県で開かれるようになる以前は、第1回(1957年)から第30回(1985年)まで三重県で、そして第31回(1986年)は滋賀県で開催されました。

 

日程も定まってはおらず、最初は3月頃、その後は12月の半ば頃に行われていました。

 

また区間の全長も当初はお伊勢さんの外宮からスタートの83.5kmから始まり、内宮をまわるコースを加えて99kmになったり、滋賀県で開催されたときには84.4kmに短縮されたりするなど、数年間単位で頻繁にコース変更がされていて、走者側からしてもかなり変化は大きかったようです。

 

群馬県でひらかれるようになってからも、最初の10年ちょっとの間は85~86kmほどの距離でコースを試行錯誤していた記録が残っていますので、やはりこれほどの長距離のコースを策定するというのはなかなか難しいことなのですね。

 

まとめ

小さいころから運動が苦手で、学校のマラソン大会なんて泣きたくなるほど嫌いだった私ですが、それでも今くらいの年齢になると年始のニューイヤー駅伝や箱根駅伝あたりの中継をこたつの中で観戦しつつ、「ああ選手の皆さん頑張っているなぁ」「凄いなぁ」「力いっぱい走りきれるといいなぁ」と、心から素直に応援や感動できたりもするものです。

 

もう60年を越え、70年にもなろうとする長い歴史をもつこのニューイヤー駅伝や箱根駅伝、県や市町村単位で開催されるマラソンや駅伝に至るまで、実にたくさんの大会が行われ、もちろん参加する方も大勢いらっしゃるわけですが、基本的にウェアとシューズだけを用意すれば自分もその一員になれるという最初のハードルの低さも競技人口の増加に一役かっているのでしょうね。

 

私も今年はちょっとやってみようかな…と毎回年初には思うのですが、まだまだ長距離を走りぬくことへの覚悟が定まらず、手始めにと開始したウォーキングからなかなか抜け出せません。それでも、来年こそはきっと……!と考えたりもするのです。

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