「無理なお願いを聞いていただきありがとうございます」の目的とは!?

ちょっとした疑問

「この度は無理なお願いを聞いていただき誠にありがとうございます」を使う目的は、あなたの感謝と同時に、相手に安心感を与えられて、お礼の言葉として誤解を招くこともなく、誰が使用しても気持ちを伝えやすいです。

 

ですから感謝の言葉は「この度は無理なお願いを聞いていただき誠にありがとうございます」で問題ありません。相手には感謝の気持ちが伝わっています。

 

喫緊の頼み事がある場合。

あるいはその後、あなたの感謝をちょうど良い程度で伝えたいとき。

どうすればいいのかを今回は推理し考えます。

 

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無理なお願いを聞いてもらうには気持ちの良い人間関係が大切!?

無理なお願いを聞いてもらう時は自分の力量ではこれは間に合わない。

どのような形で頼めば、気楽に承知してもらえるのだろうか。

 

公式や方程式、そういったものがあるのならそれを知りたい。

これまでに沢山の人が同じ思いを抱えて、悩んできていました。

 

ですから、できるだけ相手にとっても気持ちよく聞き入れてもらうためには、いったいどうすればいいのか、どのように頼めばより受け入れられやすいのかについて考えてみます。

 

例をあげます。

 

あなたに急に不躾なお願いをしてきた人がいたとして、それがどのような人の場合、あなたはすんなりと快諾することができますか?

 

答えは自ずと出てきますね。

 

  1. まずは日常的に交友関係があり、自分に良くしてくれている人。好感度の高い人。
  2. それから特別な交友関係はないにせよ、会話や挨拶くらいは毎日のようにする人。
  3. 話したことは滅多になく、顔と名字くらいは知っている人。

 

順位をつけることに批判的な向きもあるかもしれませんが、私の場合、危急のときにこの方なら助けてあげたいと思う強さは、この順です。

 

実際に、人間の心理として、好悪や親疎があるのは当然のことだと私は考えています。

 

だから多くの人にとって「善い人」らしくあること。さらに頼れる人数は多い方が、また心情的に考えても、あなたからの急な依頼があった時に誰かに受けてもらえる確率は上がります。

 

まずはそこが目指すべきポジションです。

 

そのためにも、普段の行動がここで生きてきます。

 

以前、お子さんの急な体調不良で早退した先輩の、「当日中に」という仕事を私が代理となって残業して処理した翌々日のこと。

 

「ありがとね、助かったわ」と笑顔で言われて、それだけでも十分でしたが、ちょうど私がそのとき抱えていた大量のデータ入力と印刷(当時はまだ紙媒体も多く使われていました)が期日ギリギリだったんです。

 

この事を相談したところ、今やっている案件が終わる午後イチなら手伝ってあげられるよとすんなり言ってもらえました。

 

お子さんの体調も整ったけれど、先輩も急に休んだ分、まだ他にも仕事は抱えていたはずです。でも、本当に助かりました。

 

先ほど書いた「気持ちの良い人間関係」にも関わってくる事ですが、このように先に誰かのお願い事を聞いたことがあるとすると、その人が「この前助けてくれたし」「今度は私の番かな」とばかりに、ちょっと無理をしてでも手をさしのべてくれたりするものですよね。

 

さらにはその後も、先輩はさりげなく、でも何してくれと言うわけでもなく私を助けてくれることがありました。

 

私もその先輩の期待にこたえられるようにと内部の資格試験を受けたり勉強したりしたものです。

 

こうした良い循環を作れるようになるのも、お願い事のやり取りがきっかけだったと思うと、気まずかったり悪いことばかりだったりではないのだと実感できますね。

 

では次に、快諾してもらえた場合。

 

あなたはそこで安心しているだけではいけません。むしろここからが、相手が快く応じたそのままの気持ちでいてもらえるかどうかが決まるのです。

 

まずは「ありがとうございます」という素直な感謝。

次に「内容」。

 

これは間違っても誤りのないようにします。

 

せっかく引き受けてもらえたのに、あなたの感謝感激やお礼の言葉が混じってしまって内容がきちんと伝わらないようでは、その人もうんざりしてしまいます。

 

「無理なお願いを聞いて頂きありがとうございます」

「〇〇を、〇〇までにお願いします」

「〇〇という理由で私には荷が重くて」

「引き受けてくださって本当にありがとうございます」

 

業務内容は要点を踏まえて。

 

さらには、なぜ引き受けられないのか、などの内容も加えると、「そういうことなら仕方がないよね」と、どこまでも自然に頷いてもらえる可能性が高まります。

 

 

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無理なお願いを受けてもらった時メールでお礼を送るのは不適切!?

無理なお願いを受けてもらえた時に、言葉で物足りないという場合は、メールでお礼を送るのは一手だと思います。

 

不適切ではありません。

重ねての礼儀としてはむしろ好感度が高い行動です。

 

私も突発的な私事の事態が起きて仕事を抜けなければならず、上司や同僚にというのが基本でしたが、誰かにその日、あるいは翌日までに決着をつけなければならないような案件を代わってもらうことがありました。

 

そういう場合には、まずその時と次に会ったときの二回、お礼を言葉で。

それらを忘れないようにと心がけて、メールも入れました。

 

そこまでしては、ちょっと相手だって重く感じるかもしれない?

 

だってその人は、実際に時間や労力を提供してくれたのですから。

 

その時の嬉しさやありがたさがどれほどのことであったかを考えれば、どれほど感謝しても足りないくらいです。

 

でも感謝を示すその舞台はたいてい職場。立ち話にせよデスクでのことにせよ、長々と会話をしていて良い場面ではありません。

 

それではさすがに物足りませんよね。

 

さらに昔でしたらそれこそ相手への礼状という手段がありましたが、さすがに今ではそこまでは重すぎて、私も行ったことはありません。

 

もしもこのような形で礼状をしたためるとしたら、それは社長会長、専務理事クラスに何か関わったくらいの件だとしたらかな、という程度ですね。

さすがにそこまでの重大案件の経験はありません。

 

だからメールなのです。

 

軽すぎず、重すぎず、さらりと流せる程度の重さを持っているツールを、積極的に利用するのです。

 

では、そのメールについて。

 

先ほど「簡単ながらも」と表現しましたが、たとえばこのような形なら長々と文を綴ることもなく簡素で、しかも内容が相手に伝わりやすくなります。

 

「(いつ)にお願いいたしました〇〇の件につきまして」

「無理なお願いにも関わらず快諾していただき、とてもありがたく思っております。」

「あの後、早急に上司に決済をいただくことができ、先様にも喜んでいただけました。」

「〇〇さんのお陰です。本当にありがとうございました」

 

以上は簡単な一例ですが、

「いつ・何の案件か」→「感謝」→「結果報告」

(→さらに「あらためての感謝、もしくは結びの言葉」)

 

このような感じに順序を追うと端的にまとまった形になりやすいので、オススメできるパターンです。

 

まとめ

ビジネス上、どうしても自分ひとりで手がまわらなかったり、公私を問わず、別の緊急重大案件が出てきてしまったりしたとき。

 

誰かを頼ることになるのは、誰にとっても起こりうるお互い様”なこと。

 

それでも“お互い様”にあぐらをかいていてはいけません。

きちんと心のこもったお礼を伝える。

それは最低限、必要なことです。

 

そこから、だから次は助けよう、とか、自分も努力してその人を助けられるようになろう、とか、そう思考するパターンを作り上げられるのならば、それは人のためだけではなく自分のためにもなりますね。

 

でも逆に、頼んだ相手に断られてしまうパターンも考えられます。

 

そもそも無理なことだったとそこは素直に諦めて、それ以上食い下がるようなことは止めておくほうが無難です。

 

だってその人にも用事があります。

もっと言うなら人生があります。

 

もしかしたら断ったその人はその日、彼女にプロポーズしようと心に決めていたかもしれません。

 

さすがにこれは跳躍しすぎかと思いますよね。

 

でも実は、その日にプロポーズしたかどうかまでは不明ですが、急なお願いに「ごめんね、無理」と手を合わせていそいそと帰宅していった同僚が、そのしばらく後に彼女さんと結婚したということがあったのを思い出したからです。

 

これはさすがに、あっ、もしかしたらあの時…と思ってしまいますよね。

 

でもそのような場合であっても、「拒絶した」という行為に対して、たいていの人は良心の咎めなどを感じていたりします。

 

だからそこで、むやみに悲しんだり失望感を表に出したりするのはマナー違反。

 

逆に

「急な話ですみませんでした」

「相談に乗ってくださってありがとうございます」

「どうかお気になさらず」

 

というなどの言葉を添えられると、相手もあなたの気遣いを感じ取ってくれることと思います。

 

最終的に出た結論がこれです。その秘訣とは、人と親しんでおくこと。

 

それがここぞという時のための、普段からの心がけです。

 

持ちつ持たれつ、お互い様。出来る人が出来ることを行い、助けあってゆく。

そうした関係や環境が自然に築かれるまでになれれば、それはとても喜ばしいことですね。

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